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2024.05.06 日記
父の看取り 家族の幸せな時間に感謝

キーワード:ホスピス看取り親の介護

こんにちは。

ライフ・リノベーター 笹川祐子(https://twitter.com/imaginenext_ceo)です。

親の介護で、北海道と東京と頻繁に往復する日々でしたが、先月父が亡くなりました。

1月から危篤状態になり、家族が出入り自由に看取りができる札幌のホスピスに入ったのです。

父の部屋に妹が泊まり込みで献身的な介護をして、あわや危篤から、徐々に元気を取り戻しました。

それまで言葉も出ず食事もとれなかったのに、2月3月の前半は、ハキハキしゃべって、バナナを1日3本食べるようになり。

余命が少し伸びたこと、奇跡的でした。

母は入院が長引き寝たきり状態になっていたので、終末期の入居者ではないのですが、無理にお願いして入れてもらいました。

母の部屋に私が泊まり、約2か月、家族4人で一緒に食事する幸せな時間を持てました。

父は農家の跡取り息子に生まれましたが、娘の私から見ても、何の苦労もストレスもなく、好きなように生きて、幸せだったと思います。

若い頃から糖尿病を患っていましたが、食事制限もせず、好きなお酒も飲み、長生きできたのはストレスフリーの賜物です。

ふつうは、老後の心配や不安、悩みが多少ある気がしますが、父にはそのような心配も不安もありませんでした。

前世によっぽど良い行いをしたのだろうかと、不思議に思うことがたくさんありました。

そして働き者でしっかりしている母が、「パパ、どうぞ自由に好きに生きてください」と支えていました。

お酒を飲み過ぎてあちこちに迷惑をかけることも多かったと思いますが、みんなに親しくしてもらい、支えられていたのですね。

父は、困っている人がいれば迷わず手を差し伸べる優しい人でした。

親戚友人に何かあればすぐに野菜やお米を届けたり、母の親の介護を積極的に手伝ったり。

私が人のために奔走する人生を歩めたのは、父譲りかもしれません。

国籍の違う二女の夫も、代々の愛犬たちもみな父を慕ってくれました。

いったん元気にはなりましたが、だんだんと弱っていきます。

笑いもある時間の中で、あることが印象的でした。

父は認知症で、「昨日のことはなんもわからん」とよく言っていましたし、私が、日に何回も部屋を出入りするたびに、「東京から来たんか」「気をつけて帰れよ」と言ってくれます。

いつも、「パパ、ありがとう!」「パパが働いて私たち育ててくれてありがとう」と声がけしていました。

ある時、「パパ、いい大学行かせてもらってありがとう。立派に育ったよ」と言ったら、なんと、このことだけは父の頭にインプットされ変換されたのです。

「俺は娘たちをいい大学に行かせた。金の心配はせんでええと言って。みんな立派になった」

みたいなことを看護師さん介護士さんに嬉しそうに話すようになり、「いやそんな立派なわけじゃない」と恥ずかしくなりました。

でも人生の最期に、ありがとう、ありがとう、ありがとうと言われる人生を送りたいと私も思います。

最期の2か月ほど、一緒に暮らせて本当に良かったです。

ホスピスという名前は聞いたことがありましたが、看護師さん介護士さんスタッフの皆さんのホスピタリティには頭が下がります。

この方々の支えあっての家族看取りの時間に感謝いっぱいです。

父の葬儀は地元の滝川市で行いましたが、まさに農家は種まきが始まる忙しい中に、多くの方々に参列頂き、父も喜んでいたと思います。

地元では珍しい霊柩車に乗りました。

この父の娘で本当に良かった。

親ガチャとも言われる時代、良い両親のもとに生まれるのはありがたいこと。

育ててくれてありがとうございました。

天国で会える日を楽しみに、後半人生を生きていきます。

★笹川祐子 プロフィール

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