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2011.07.11 寄付・支援・CSR
被災地レポート 前編

キーワード:ボランティア復興支援東日本大震災被災地

弊社の役員が、先日、被災地へボランティアに行ってきました。

マネージャーの男性、営業ウーマンも同行。

スタッフ向けのニュースレターに、レポートを書いてもらい、ぜひブログ読者の皆様にも読んでいただきたいと思います。

行く前日には、長靴を買ったり着々と準備していました。

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はじめに
東北大震災でお亡くなりになりました方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

以前お世話になったメーカー様と再会したお食事の席で、ボランテイアのお誘いを頂きました。

東北へは震災後、元々行きたいと思っていたので即決で参加させて頂くことにしました。

少しでも被災地の現状を分かって頂ければ幸いです。

1日目 南三陸町へ ~瓦礫撤去と区分け整理

終業後23時にバスにて東京を出発し朝5時に仙台着、活動支度を整え、そこから2時間30分バスに乗り南三陸志津川地区に向かいました。

ここから志津川町に入ります。

バスの窓から眼下に移る街の景色は、瓦礫の一面です。

あまりに荒れ果てていて壊滅状態の景色に、茫然と口が開いたまま、ただただ唖然とし、何の言葉も出てきません。

その景色がずっとずっと続く中で涙がこぼれ落ちそうになるのを、必死にこらえることでいっぱいでした。

「ここに泣きに来たのではない。何か少しでも役に立てればと働きに来たのだ」と自分に言い聞かせ必死に気持ちを抑えたことを覚えています。

ここが街だ!ここが駅だと幾度言われても想像もつきません。
だって何もないんですから。

あるのはただ瓦礫と骨組みだけになった建物が一つ二つあるだけなのです。

3階建ての町営住宅の屋根に白い乗用車が整然と乗っている姿はあり得ない恐怖の姿で、ここまで津波が押し寄せたことを知らしめさせられました。

朝9時、いよいよ活動開始です。

ボランテイアセンターからの指示は、1日目は瓦礫の撤去と区分け整理、2日目は写真洗浄でした。

ボランテイアセンターから車に乗り換えピストン輸送により沿岸部の個人宅に移動、20名強の私達の団体は2軒の家を担当しました。

午後からは2班に別れ、私を含む8名は軽トラックの荷台に乗り込み2軒目の個人宅に移動しました。
軽トラックの荷台に乗っての移動、これも初めての経験でした。

鉄板入りの長靴を履き軍手の上に皮の手袋とマスクを付け、それぞれが黙々と瓦礫の整理をしました。
流し台や洗濯機を移動させ材木の整理、レコードに財布、香典台帳と様々なものがありました。

漁業で生計を立てていた家が多く、大きな網が材木に絡みつき、なかなか解けません。
漁獲網がこんなに丈夫なものだということを初めて知りました。

やはり暑いです。

汗が噴き出してくるとはまさにこういうことですね。

昼食は海辺で持参のベーグルをかじりました。

跡形もなくなった家の老夫婦が途中コーラや黒飴の差し入れをして下さいました。

「ご苦労様、有難うございます」と深々と御礼を言われるその姿に、胸がいっぱいで言葉を失ってしまいました。

~後編に続きます

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みなさんの写真。

うちの役員も、社員たちも貴重な経験をさせていただきました。

 

<笹川祐子の感謝ブログ> 創業した会社を上場企業にグループインしましたので、こちらの社長ブログへ移管しました。

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